第1話

 なんだか、すごいドラマが始まった。靄がかかったような映像に、重苦しい雰囲気が重なり、学園ドラマとは思えないような、暗い物語であった。
 学園ドラマというと、どこまでも親身になって生徒と向かい合う教師が中心に描かれる場合がほとんどだ。それは、あまりにも現実から乖離した、理想の教師像である。たしかに、常に生徒のことを考えている教師というのも存在するだろう。だが、それが全てではない。にもかかわらず、ドラマで中心に描かれるのは十中八九、そういう教師だ。「ごくせん」にしても、「金八」にしても。
 このような、きれい事で埋め尽くされた学園ドラマへのアンチテーゼとして、「女王の教室」は作られたのだろう。初回から生徒をいじめつくすような(いじめであるか、教育であるかの判断は難しいが)内容では、今後批判を受けることは必至ではないかと思う。だが、そのような批判に屈することなく、最後まで意志を通してほしい。
 なお、阿久津真矢(天海祐希)の言動に関しては、多くの疑問があるが、その背景については、後々明かされていくであろうから、ここでは指摘しないでおく。
 だが、一つだけ気にかかることがある。スタッフロールが流れる際の、天海祐希のダンスの映像だ。作中の阿久津とは180度違った、あまりにも明るすぎる彼女の映像は、何のために挿入されているのだろうか。その理由はいくつか考えられるが、おそらく、天海祐希の好感度を落とさないためか、作品への批判を和らげるためなのだろうと思う。あるいは、このドラマを観て暗くなった気分を打ち消すためなのかもしれないが、いずれにせよ、全く理解できない演出である。
 私には、あの映像が製作者側の「逃げ」にしか見えなかった。あの映像があって救われたという感想の方もいるかもしれないが、ドラマの内容とかけ離れすぎていて、違和感を抱かずにはいられない。せっかく、革新的な学園ドラマを作ろうとしているのだから、小賢しい逃げを用意せずに、堂々とやってほしい。
 それとも、ひょっとして、あの映像に違和感を感じなくなるような展開があるのだろうか。だとしたら、このドラマの評価は急降下するような気がする。期待できる初回だっただけに、最後まで新鮮なドラマであってほしいものだ。