最終話

 なんとも中途半端な結末で、11話も観てきて損をした気分だった。
 試合の結末まで見せず、こずえ(上戸彩)が復帰したところで終了という結末が中途半端であったというわけではない。あの終わり方は、それほど悪いものではない。あっけなさは感じられたが、余韻を残すという点では、一応の効果をあげていたと思う。
 私が中途半端だと思ったのは、登場人物の行動や、作中で起こる事件(問題)のことだ。
 まず、こずえの怪我は再起不能なものであるように描写しておきながら、あっけなく復活してしまった。怪我というのは、努力によって治るものではない。リハビリは必要だが、それは治った後のことだ。つまり、あの怪我を克服したというのは、こずえの力によるものではなく、もともと手術が成功すれば、完治する程度の怪我であったのだ。確かに、こずえはリハビリをがんばり、試合までに復帰できたわけだが、その描写があまりに簡素すぎて、感動もしないし、驚きもしない。
 前回の結末で、こずえが再起不能であるように予想させておいて、最終回で覆すという趣向だったのだろうが、そのために、リハビリの様子が少ししか描写できず、物足りなかったのだと思う。
 また、猪野熊(船越英一郎)の行動も中途半端だった。悪に徹していた猪野熊は、前回あたりから、急に優しくなりはじめ、とうとう、良い人になってしまった。彼は選抜メンバーを強くするために、悪役を演じていたということなのだが、それではあまりに普通すぎる。それでは、多少過激な普通のコーチでしかない。猪野熊は本当の悪役で良かったのではないか。あるいは、設定上は良い人だとしても、彼の苦悩や本音を描く必要はなかったのではないか。
 このドラマは、こずえが数々の試練にぶつかり、それを乗り越えて行く過程を描いたドラマである。猪野熊は理不尽な監督でさえすれば良かったと思う。とにかく、こずえにとっての試練でありさえすれば良かったのだ。事実、このドラマでは恋人の死さえ、ただの障壁として描かれていた。監督自身の葛藤など、全くもって不要だろう。
 ただ、猪野熊にとって、メガネが悪になるための仮面であったというのは良かった。結末で、メガネを外した彼の表情は、選手を思いやる優しさに満ちたものであった。
 結局、ドラマとしては、起伏のない、淡々とした作品だった。試練に直面した時の絶望感や、それを乗り越えた時の達成感が伝わってこない。いってみれば、RPG的な「おつかいドラマ」で、機械的に試練をこなしているだけなのだ。それは、こずえが試練を機械的にこなしているわけだが、同時に、製作者も機械的に仕事をこなしている。そういう、ストーリーの機械的な組み立て方、展開の仕方ゆえ、観ている方も機械的に、惰性で観ているだけになり、感動のない、単調なドラマになってしまったのだろう。