『春期限定いちごタルト事件』米澤穂信

(勝手に10段階評価。4が標準、10が最高)

 小鳩君と小佐内さんは「小市民」を目指す高校一年生。二人は恋愛関係にあるわけでもないのに、いつも一緒にいる。二人で出かけることもしょっちゅうだ。逃げたい時の言い訳に互いが互いを利用し合う。二人はそういう関係なのだ。そんな不思議な交際を続ける二人の日常は微妙にどこかが歪んでいる。歪んだ日常の中で起こる事件はいたって普通。だけどやっぱり歪んでる?そして、二人は無事「小市民」になれるのか?
 いわゆる日常の謎派の作品と言って良いだろう。しかし、その日常はどことなくいびつである。その原因の一つは、主人公ふたりの抑圧された感情からくるのだと思う。解説でも述べられているように、この作品の中では心情描写が非常に少ない。それは、読者を惹きつけるためのテクニックというよりは、主人公たちの自主的な抑圧を表現しているのだろう。彼らは小市民を目指している。そのためには目立ってはいけない。だから、二人とも本当の自分を隠しながら生きている。それは決して苦痛ではなく、そう生きることが彼らの目標であり夢であるのだ。
 しかし、彼らの努力を邪魔するかのように、ふたりの前には次から次に謎が湧き上がる。本当は謎になんて関わりたくない。小市民たるもの、名探偵面をして謎解きを披露するのは断固として避けなくてはいけないのだから。
 そう思いつつも、なんだかんだで謎を解くことになってしまう。その時の葛藤はとても切実である。そして、読者はある疑問を抱く。どうして、彼らは小市民を目指すのか。なぜ、目立ってはいけないのか。そして、彼らの過去に何があったのか。読者にとっての謎は、彼らに提示された謎ではなく、彼ら自身なのである。
 この作品が新鮮で魅力的な理由はそこにある。主人公自体を最大の謎にしたところが面白いのだ。そして、その謎は少しずつ明らかになるが、完全に明かされることはない。しかし、読み終えた時は妙に納得してしまう。言葉にしなくても伝わる何かが行間に埋め込まれているのだろう。
 また、構成も大変良く出来ている。いわゆる連作短篇の形を取っており、五作の短篇が収録されているのだが、その連作短篇形式が非常に上手く生かされているのだ。連作短篇というのは、各短編での謎のほかに、シリーズ全体を貫く大きな謎があり、それが徐々に明らかになっていくことで、長篇にも匹敵するスケールを持ち得る形式である。しかし、最近は単純に主要な登場人物が共通で、事件の傾向が似ているというだけの場合が間々ある。
 本作の場合、第一話「羊の着ぐるみ」を読んだ段階では、少し変わった雰囲気があるというだけで、それほど魅力的でもないし、正直、凡作かと思ってしまった。ミステリの粗悪濫造が叫ばれている今時なので、あの創元推理文庫でもこの程度の作品を出版してしまうのかという、多少がっかりした気持ちになった。しかし、それは全くの読み違いであったのだ。
 続く第二話、第三話と読み進めていくうちに、この連作で見るべきなのは、先述したように、主人公ふたりの謎であり、また、そのふたりの特異な生き方の面白さなのだと気付かされた。
 そして、最終話にあたる「狐狼の心」で、とうとうふたりの秘密が明らかになり、そして、一話から四話までに仕組まれていた伏線に驚かされる。何と用意周到なことか。さらには、今までのほんわかとした雰囲気が一転してサスペンスに変わるという驚愕の展開である。この最終話のために、それまでの物語があったのだと言って良いだろう。それぐらい、最終話の衝撃は大きい。
 語り口も雰囲気も一見ライトなミステリだが、その実非常に鋭い作品であった。それはまさに、小鳩君と小佐内さんのようではないか。彼らが小市民としての外見を苦労して作り出しているように、この作品自体も、ライトミステリとしての外見を苦心の上で形作っているのであろう。そう考えると、この作品が非常に奥の深い傑作であることは揺るぎない事実であるように思うが、皆さんはどう思われるだろうか。