第6話

 阿久津真矢(天海祐希)の独裁的かつ抑圧的な教育に成果が見えはじめた。彼女の目的は、自分の意志を持ち、いかなる時もそれに基づいて行動する人間を育てることだと、前回の感想に書いた。神田和美志田未来)はその力を発揮しているし、真鍋由介(松川尚瑠輝)も彼女の影響を受けて、力強くなった。
 そして、今回、そこに新藤ひかる(福田麻由子)と馬場久子(永井杏)が加わり、反真矢勢力(実際には真矢の意図に沿っている生徒たち)は徐々に拡大している。終盤でクラス全員にまで拡大したかのようにも見えるが、それは虚構の連帯であり、容易に崩れてしまうだろう。
 あの場面で、真矢へ反発した生徒の大半は、周囲の状況に流されたに過ぎない。そこには自分の信念のなど微塵もなく、ただ自分に有利であろう勢力に逃げ込んだだけだ。真矢が個人面談を行い、飴と鞭を巧みに使うことで、あっけなく元の状況に戻るに違いない。
 真矢にとってみれば、まだ目的が達せられていないわけだから、ここで引き下がることはできない。彼女は徹底的に生徒を押さえつけることによって、全生徒を真に強い人間へと育て上げようとしているのだ。その道は果てしない。
 もしも、数名の生徒のみが精神的な強さを身に付けたとしても、その一方で、強者に追従するだけの人間を大量に生み出してしまっては、真矢の教育は大失敗である。彼女の教育が成功するのは、全生徒が強くなったときだ。彼女は失敗の許されない、厳しい状況を自ら生み出し、果敢に挑戦しているのだ。
 だから、夏休みといえども休むことさえしない。真矢の教育方法に対する批判も多いが、並木(内藤剛志)や天童(原沙知絵)のように、自分の遊びを優先させる教師こそ非難されるべきであり、それは、週休2日制で休暇を増やし、ゆとり教育で授業を外部に丸投げするような、現代の日本の教員についても同様である。真矢は休みであっても、生徒の行動を監視し(見守り)、生徒の変化を見逃すこともない。そういう裏の努力があってこその女王なのだが、女王とは言うものの、あのような授業を行っている彼女こそが一番辛く苦しいのではないだろうか。
 この見方が正しいとした場合、たしかに、真矢の目指すことは分かるし、そのための教育法として、行き過ぎた部分もあるとは思うが、概ね納得できる。だが、一般的にみて、この教育が成功する確率は極めて低い。彼女の抑圧に反発する力を持った生徒が1人もいなかったとしたら、有力者に媚びへつらう人間を大量生産するだけだからだ。神田が抵抗できたのは、真矢の教育のためではなく、彼女自身の元来の力強さゆえである。彼女のように強い生徒がいたからこそ、真矢の教育は成功に近づいているが、そういう生徒がいなければ、元も子もないというのが、真矢の教育における一番の問題点だろう。